厄払いと予防接種
〇前書き
インフルエンザの季節がやってきました。予防接種は受けたでしょうか?
私は毎年、インフルエンザの予防接種を受けています。
病気以外に定期的に万人に襲いかかる面倒ごとは、「厄年」ぐらいではないかと考えています。
ではなぜ、「厄年」には厄払いをするのでしょうか?
厄年は、自分だけが辛い思いをするのに、「厄払い」という前段階対処をする必要があるのでしょうか?
そこにはきっと、社会的な意味が隠されているような気がします。
そんなことを書いていきます。
〇「厄年」についてと 結論
色々調べていくと「厄年」という考えは陰陽道がベースらしいです。
神道、仏教、陰陽道とあったそうですが、神仏分離の影響で陰陽道が全面に出ることが少なくなり、今では陰陽道が行っていた厄払い神社がやっているようです。
厄年の年齢設定ですが、江戸時代の平均寿命や語呂合わせの影響があるようです。
現状で照らし合わせても、年齢的にも自分の体に変化が起きてもおかしくはありません。
自分のみが関係するので他人には関係のないはずです。では、なぜ「厄払い」をするのでしょうか?
私は
①厄が周囲にうつらないようにするため
②周囲から後ろ指をさされないようにするため
という日本的な理由ではないかと考えています。
以下が理由です。
〇厄が周囲にうつらないようにするため
結論を覆すことを書きますが、そもそも「厄」は他人にうつるのでしょうか?
例えばインフルエンザとかなら他人に感染するのは科学的な実証がありますし、自分自身の経験上からも理解はできます。だからこそ、予防接種をして自分が感染しないようにします。
しかし、「厄」というのは他人にうつるという科学的根拠がありません。
ネットなどで検索すると「厄は負のエネルギーなので他人に影響を与える」、「厄年とは関係のない家族が交通事故にあった」などの書き込みがありました。
前者は負のエネルギーという非常に宗教チックな表現ですし、後者は不幸が起きた理由をこじつけたいだけのように感じます。
しかし、今でも厄払いという行為は多くの人がやっていますし、もしかしたら厄から自分を守るためではなく、他人に厄の影響がでないように厄払いをするのがメインなのかもしれません。
その理由は何でしょうか?他人にうつるかも分からない厄を、他人のために厄払いするのでしょか?
それが、理由の2つめかもしれません↓↓
〇周囲から後ろ指をさされないようにするため
日本は島国、ムラ社会という影響から他人軸で意思疎通するのが得意な国民性であると思います。また、現在でも、どの子家の子か、どこ出身かを非常に気にします。人の名前を呼ぶ際に苗字で呼ぶことが多いのは、その影響を受けているからだと考えています。
そのため、集団で行動するのは前提で他人からどう思われているかを考えて言動する必要性があるということです。
周りは自分が厄年であるということを知っています。そして、何か不幸があった際にはその理由を厄年の人にこじつけようとするのではないでしょうか?
なので、厄払いを行い周りから後ろ指をさされないための対処をしているのではないでしょか?
噂話や迷信が好きな理由は、宗教に隠されているのではないでしょうか?