なぜ日本では我慢が美徳とされているのか?
〇前書き
同年代と「今の日本は生きづらい」と会話することがあります。
なぜ、生きづらいのでしょうか?
そして、「今」だけなのでしょうか?昔から生きづらかったのではないでしょか?
その原因は、お題に書いた「我慢」という日本独特の美徳にあるのかもしれません。
なぜ、日本では「我慢」は美徳となっているのでしょうか?いつから美徳になったのでしょうか?
考察していこうと思います。
〇第二次世界大戦の影響
資源が少ない日本では、戦争に勝利するために全員でジリ貧になることを選びました。その結果、日本は敗戦したのですが、、、
日本全体が「全員で我慢すれば戦争に勝てる」という根拠のない空気になったため、その空気を吸うことができない人を、周囲が国が罰するという状態であったと思います。
つまり、この時期は「我慢することはすごい」ではなく、「我慢は必須」という状態であったと思います。
この際の経験によって日本人は「我慢できる」という認識を広めたのではないかと考えています。
〇戦後~高度経済成長期
戦後、日本は国を立て直すために工業立国とすべく民間と国が一致団結しました。
戦時中に全員がジリ貧になるという経験をしたため、あの状態に戻らないように、そして全員が裕福になれるようにするという空気が、この時代の日本を覆っていたのではないかと考えています。
全員が同じ目標に向かって努力している状態の中でも、与えられた環境で泣き言も言わずに一生懸命に働いている人が成功者となっている。
つまり、この時期は「我慢し働けば成功できる」という状態であったと思います。
誰よりも我慢する人は出席コースを歩んで行ったので、無意識的に「我慢する人は偉い」という認識が広まったと考えています。
〇義務教育の功罪
近代国家を目指していた時代の日本では、同じ能力の人員を大量に排出する事が急務であったため、同じ枠に入れて全部ができるようにするという教育でした。
結果として、日本は世界でもトップクラスの先進国となれた時代もありました。
しかし、その反面、「出る杭は打たれる」・「低い部分はけなされる」という空気を作ってしまいました。
得意、苦手関係なく我慢してでも周りに能力を合わせて努力するという状態にあります。
皆勤賞という謎の制度もそうでしょう。しんどくても我慢して通学することがすごい、という間違った認識もあります。本来は、体調を崩さないように栄養と体調管理をしっかりできているために、休むことなく通学できているという事がすごいことではないでしょうか?
この間違った認識が「我慢」を助長しているような気がします。
〇今後の「我慢」について
VUCA化が進む中で、我慢して同じ場に留まり続けるという選択は難しくなってくると思います。むしろ、我慢という認識をしないように好んだ環境にドンドン逃げていくような空気をつくっていくべきだと思います。