故人と会話したいか?

○イタコという存在

今年もKyoto Experiment に参加してきました。(https://kyoto-ex.jp/2019/

今年で参加は3回目になります。一番最初に「チョイ・カファイ/存在の耐えられない暗黒」を観ました。

 

暗黒舞踏の生みの親である「土方巽」を再現するという作品です。(作品を通して初めて土方巽という人の存在を知ったので間違っているかもしれません。詳しくは⇨https://ja.wikipedia.org/wiki/土方巽

本作品の作者であるチョイ・カファイが創作を始めるに当たって、故人である土方巽に了承を得る(共作)ためにイタコを通して(?)、土方巽本人と会話をする映像が流れるシーンがあります。

僕は初めてイタコという存在を知ったし、故人と話すことができるなんて想像もしていませんでした。

死んだ人とは二度と話すことができないと勝手に思い込んでいました。まだ、年齢的にも周りの誰かがこの世から居なくなくという経験自体も少ないので、故人と話すということ自体を考えたことがないです。

イタコの存在を知った時に、「僕は故人と話したいのか、何を話したいのだろうか?」と思ったので、そのことを書いていこうと思います。

 

○故人と話すということ

まず、故人と話すというのはどういうことなかの?

 

この世、この時におらず過去に生きていた人。

記憶のアップデートがされることがない人。

あっち側の人。

記号化された人。

風景の一部と化した人。

成仏した人。

 

故人というのは様々な解釈が可能な人?であると思います。

だからこそ、故人と話すということは、話したい思う側によって意味を変えていきます。

今の僕にとって、故人と話す問いことは「過去を振り返る」という行為であり、あまり今を持たないのではないかと思っています。過去を振りかっても現状が改善されるわけでもなく、より良い未来が出来上がるわけでもありません。今を生きている人達で未来、生きていく人達が少しでも長く、少しでも楽に生きていける社会を構築することが、故人達にできる最大限の恩返しではないかと考えています。その人が出来なかったことを、私達が代行するのではなく、自分達が作り上げたい社会を構築すること。

 

「故人と話す」という行為は、「話す」という以上の意味を孕んでおり、自分と時間軸との接しかたを表しているのではないかと思います。